9月13日号


フランスの旅 - Day 6 (Wed)26/07/2000 マレー地区

いざパリに出陣。 近くの駅からパリ行き往復切符を求めと全く同じ切符を2枚くれる。 時刻表ももらってお く。 一枚を自動改札機にかける。 改札機といっても見過ごしてしまいそうな小さな柱が立っているだけでホー ムへの出入りは無制限。  この郊外電車がRER(首都圏高速鉄道網)(Reseau Express Regiona l)になって以来パリ内の主要数駅に直結して便利になったが初日の今日のところはまずリヨン駅で降りる。 人 口が増えたせいか全列車2階建てになっていた。 リヨン駅の郊外線ホームが地下になって以来いつも迷うので帰 りのためにしっかり覚えておかなければならない。 改札を出たところに案内があったので路線地図をもらう。  メトロ、バス、郊外電車の路線、そして駅名がアルファベット順にリストされていて大きく色刷りで見やすく小さ くたためるしとてもよくできている。 さすが観光大国。 リヨン駅は装飾性の高い風格のある古い建物で地上階 のホームにはカフェと2階にはアールヌーボー調の本格的なレストランがある。 映画「Place Vandome」でカトリ ーヌ・ドヌーブが昔裏切られた恋人と再会する舞台だ。 もともとの建物を壊さないように近郊電車を地下に移動 させて南仏、イタリア、スイス方面へのTGVや遠距離列車の拡張のスペースをつくったようだ。 構内は若いバック パッカーで賑わっていたが古いつくりは昔日の映画のような旅情を感じさせる。

リヨン駅からバスティーユ広場のあるオペラ・バスチィーユまでPromenadePlantee(ガーデン・プロムナード)を 通る。 赤レンガ造りの高架にははしゃれた家具やカーペット、本の装丁などアート系のブティックが並び鉄道が 取り払われた後の屋上は木々や季節の花々が咲き乱れる散歩道になっている。バラがきれいだった。 プロムナ ードの終わりはフランス革命200年を記念建てられたガラス張りの近代的な建物オペラ・バスティーユの裏。  その先がバスティーユ広場。 そこからめざすはマレー地区。 その名のとおり昔は沼地だったがルーブル宮に近 い地の利を得て裕福な層が豪華な館 (hotel) を競って建てフランスの黄金時代を飾ったのであった。 その後フ ランス革命や貴族の没落などで失われたものもあるが多くが復元され今ではミュージアムとして市民や観光客に開 放されている。 この日はそうした小さなミュージアム巡りをしてみた。

Place des Vosges ヴォージュ広場
15世紀初頭ルイ14世によって建てられた王宮とあるが館の集合したタウ ンハウスといった感じ。 ルイ13世とオーストリア出身のアン王女の3日間続いた結婚式など数々の歴史イベン トの舞台。 四角い回廊状の館の中庭がヴォージュ広場。 館と広場の間の道路には車が往来し王宮というイメー ジには程遠い。 外壁や美しい窓の装飾、バルコンの鉄柵の模様などファサードの均一性がよく保存されている。  一角にビクトル・ユーゴの住んでいたミュージアム。 時間があれば帰りに立ち寄ろうと思っていたが時間切れ で次回にまわすことにする。

Musee Carnavalet カルナヴァレ歴史博物館 
建物は16世紀中ごろに立てられひっそりと優美な建物L’hotel Canavalet。 ローマ時代から1900 年ごろまでのベルエポックにいたるまでのパリの歴史を表す展示物が年代ごとに並ぶひっそりとした建物。 家が びっしり並んだ昔の橋や狭い路地が入り組んだ古くて暗い街並みの模型がおもしろかった。 ちゃんと歴史を頭に 叩き込んでから出直した方がよいような気もしたが重苦しい中世、きらびやかな王朝時代、血なまぐさい革命をへ て自然科学や芸術の花が咲いた19世紀後半から20世紀初頭ベルエポックの頃の絵画やファッション、1900 年の世界博に向けて建てられたエッフェル塔やグランパレ、プチパレなど鉄骨剥き出しの当時としてはとんでもな く斬新で街の景観を損なうと大反対された建物が現在パリになくてはならないこの都会の魅力の一部になっている のを認識した。 

余談だがここを始めこの後訪れたミュージアムの入場料はたいてい30フラン。18歳未満と失業者は無料とあ る。失業者はどうか知らないが、18歳未満入場無料というのはとてもよいことだと思う。 東洋のどこかの先進 国でもこうした姿勢を少しは見習ってほしいものだ。

少し歩き疲れたしお腹もすいたのでPlace de Thorigny に面したカフェでランチを取る。 遅いランチを取るア メリカやヨーロッパからの観光客がぱらぱらとはいるが込んではいない。 しかし一人しかいないボーイさんはは なかなか注文を取りに来てくれない。 申し訳なさそうにやっと来てくれた恐らくパキスタン系のボーイさんは私 と同じ位つたないフランス語でメニューを説明してくれ、やがて大きなお皿にサラダとライ麦パンの巨大なクロッ クムッシュ、そしてご丁寧にバスケットにいっぱいフランスパンまで持ってきてくれた。 もちろんワインも。  とてもおいしかったけど量が多すぎて半分ぐらいしか食べられなくて残念だった。

Musee Picaso
17世紀中ごろ悪名高い塩税で大もうけしたした税収吏ピエール・オベールが建てたマンション l’hotel Sale  (塩の館?)にある。フランスの美術館は作品だけではなく入れ物である歴史的建物や中のつくりも楽しめる。  19歳でスペインから初めてパリに出て来て以来1973年に92歳で亡くなるまでエネルギッシュな作品を膨大 に生み出したピカソ。 その作風はそれぞれの時代と彼の姿勢の変化を豊かに反映しスタイルの幅の豊かさには同 一人物かと不思議になるほど。 その芸術活動の殆どをフランスで送ったピカソは、死後相続税代わりに手持ちの 作品の四分の1をフランス政府に贈与。 絵画200、彫刻160以上の作品が年代を追って展示されている。  画家の父に早くから才能を見出され14歳の時の作品「裸足の少女」は少々傷んではいたがはすでに巨匠の風 格。 20歳でパリに住み出した頃のブルーの時代の自画像、その後のピンクの時代、さらにキュービズム、シュ ルレアリズムとどんどん作風を展開していくのだが、晩年の爆発しそうないかにもピカソらしいハチャメチャな絵 はそれまで模索していたものをポイと捨て去りこうした何の束縛もない子供の絵こそ求めていたものなのだ、と言 いたげだった。

売店では画集や絵葉書のほか英語版の案内書、ピカソのパリ散歩といった楽しい本もあり彼のパリ時代の芸術家と の交流や女性遍歴にもふれていて面白い。芸術家はわがままだ。 またしても歩き疲れ庭にあるカフェでカプチー ノを飲み休憩。 ごく簡単なカフェだがコーヒーはちゃんとおいしい。

リヨン駅まで一気に歩き自動改札機に切符を入れるのだがうまくいかない。 切符売り場のお兄さんに文句を言う と朝改札を出るときに間違って帰りの切符を入れてしまったようだ。 それでも文句を言わないで新しい切符をく れた。 「メルシー、ムッシュー、オルヴァー」 今度から気をつけます。

この日の夕食は総勢10人。 ロベール、ジェルメーヌ、ルドビック、レモンド、パトリック(ルドビックの同僚 で同じくパーサー)、マイアナ(パトリックのタヒチのガールフレンド)、ジェシカ、フランク、(ジェシカのボ ーイフレンド)、そして次男と私。 前菜はパルミエ(ココナツのハート)のクリーム和えサラダとトマトサラ ダ。 トマトをスライスしてオリーブオイルとワインビネガー、塩コショウ、パセリのみじん切り、エシャロッ トを加えて合える。 メインはロベールが狩で仕留めてきたキジ。 ぶつ切りにしてオリーブオイル、たまねぎ、 タイム、塩コショウ、バターを加えオーブンで1時間焼くち立派でおいしいディナーの出来上がり。

4年前マイアナとパトリックの田舎の家にバカンスに出かけた時、彼は仕事で出かけていたがその間マイアナが毎 日ご飯を作ってくれたり子供二人と遊んでくれたり、いっしょに近くをドライブしたものだ。 パトリックもルド ビック二人とも40歳になったというのに一向に相手と結婚する様子ではない。 そういうカップルが増えている ようでロベールもジェルメーヌも複雑な心境だ。 パトリックがしきりに興奮してしゃべっている。 これだけ大 人数で話があちこちで弾むともう私にはついていけない。 しかし何の事はないフランスのチーズの種類のことで 議論しているらしい。 それにしても、みんなよくしゃべり、飲み、よく食べる。 これもついていけない。



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