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【5月16日号】【4月3日号】【1月8日号】【1月1日号】

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5月16日


「パーティー 1」

子供たちの誕生日パーティーを始めクリスマス、イースター、ハロウィーン、帰国や転勤に伴う送別会と子供た ちが小さかった頃は年中パーティーをしていた様な気がする。 子供が幼稚園等に通い出すとパーティーの招待 状を頂く頻度が高くなる。 何度か連れて行って気づいたのだが西洋人の子供のパーティーでは子供を玄関で手 渡し、時間になったら引き取りに行くという形式が多い。 一方、中国人、インド人、日本人の場合は呼ばれた 子の親や兄弟姉妹達も丸抱えで大パーティーということが多い。 特に中国人やインド人の場合は親戚や子供の 面倒を見るためのメイドさんまで含めて大変な人数になるのでプライベート・クラブやホテルなどで派手に行う 家庭も少なくない。 子供が幼稚園ぐらいの時はプライベート・クラブ等のパーティーに呼ばれることもしばし ばあり、大人用のテーブルと子供用のテーブルにに分かれた会場でクラウンや手品師、風船で色々細工をするお 兄さん達の芸を楽しんだものだ。

日系企業駐在員家族のご多分にもれず我が家のアパートも比較的小さく、どこのクラブにも属していなかったの で大勢の人を一度にお呼びすることが出来ない。 しかし、団地のプールや庭の一角を借り切ることが出来たの で長男の2才のお誕生日に大パーティーをしたことがある。 団地の管理室や近所の人たちからもテーブルや大 小の椅子を借り、風船や紙テープ、パーティー・バナーをあちこちに飾り付けて会場出来上がり。 エンタテイ メントのハイライトは会社を早退してきた夫扮する手品師。 この日を控えて密かに手品の練習を重ねてきた甲 斐あってか子供にも付き添いのママたちにも大いに受けたのである。 日本の企業で子供の誕生日パーティーの 為早引きしますなどという人はまずいないだろうが、西洋人のパパ達は必ずといっていいほど途中で参加して接 待に活躍するのだ。 ここは長男のためにぐっと西洋かぶれしてもらった。 だけど家ではまずいと言って会社で 手品の練習する人も珍しいかも知れない。 肝心の長男はさすがに父親のマジックショーには大はしゃぎで見入 っていたがそれ以外はずっと走り回っているかかくれんぼに夢中。 特製の大きなきしゃぽっぽのケーキカット の時に引きずり出してくるのに苦労したような気がする。

その頃住んでいたハッピー・バレーの団地には同じような世代の日本人家族が大勢住んでいてある年帰国する人 たちの送別会を兼ねて一大水泳大会なるものを催した事があった。 我が家の子供たちは日本人向けの幼稚園に 通っていなかったので日本人の子供とも遊べる機会があるようにと意識してこうした団地を選んで住んでいたの だ。 プールサイドに各家庭事前に打ち合わせておいた担当の食べ物や飲み物を持ち込み大パーティーの後、学 年別競泳大会。 プールサイドの応援の盛り上がったこと。 何人かいた元教師のママ達が久々に子供の集団に指 示を与える声に隠れたキャリアが光る場面もあった。 10年以上も前のことなので今は多少事情が変わってい るかもしれないが当時は多くの日本企業が駐在員夫人の就労を禁じており、夫の転勤に伴うために仕事を辞めざ るを得なかった人たちの中には帰国後のキャリア復活に不安を感じる人たちもいたようだ。 同じ団地の日本人 住人といっても子供の学校や夫の勤務先も様々で何かまとまった行事を一緒にするといったことはなかったので 子供達を通じてそうした家族間関係が一挙に飛躍したのを感じるよい思い出になった。

今から思えば当時は日本でも香港でもバブル経済の盛んな頃で香港在住日本人の数もピークに達していた。 子 育てに夢中で自分の時間が持ちたいと願っていたあの頃、しかし、子供たちと一緒にあんなに一生懸命遊んだあ の大騒ぎは今となってはいとおしい大切な思い出だ。







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4月3日


「香港がなんや、なんやっちゅうねん」

この数年毎週土曜と日曜日の午後は時間の許す限りエアロビックスで汗を流し大いにストレス解消している。 1時間アップテンポの曲で脂肪を燃焼させた後のストレッチ運動の時にジョージ・マイケルのリラックスした曲 なんかがかかれば完璧だ。 このストレッチで身体の隅々の筋肉を入念にほぐしあわただしい1週間の終わりを 実感し、次の週に臨む。 陽気なオーストラリア人のインストラクターだったら初めから終わりまで冗談言いっ ぱなしで楽しさも倍増というものだ。

小さかった頃の子供たちに水泳の個人レッスンを頼みインストラクターに団地のプールまで来てもらったのがき っかけで自分も教わってみた。 先生はメリル・ストリープに似た金髪美人のオーストラリア人で幼児にはもち ろん大人にも教え方が上手だった。 それまでは平泳ぎしか出来なかった私もクロールやバタフライ、おまけに タンブル・ターンまで出来るようにしてもらって世の中が変わって見えるほど嬉しかった。 そのうち、夫まで 加わり家族四人ともメリル・ストリープの生徒となり長い夏を随分プールで過したものだ。 こんなことを出来 るのも香港ならではのことだろう。

その後子供たちは次第に大きくなり一緒にプールで戯れることも少なくなり、したがって水泳からも遠ざかって しまった。 会社勤めを始めると長時間デスクに向かうため運動不足から頭痛肩凝りに加えて腰痛に悩まされる ようになってしまた。 一念発起、これもまた団地内にあるテニスやスカッシュを始めてみたが日射病で頭が痛 くなったり下手の相手をしてもらうのは気が引ける。 結局誰にも迷惑掛けずに自分の都合の良い時間に手軽に できるエアロビックスを始めたのである。 エアロビックスそのものがその後研究されてよくなったのか香港に いるインストラクターと相性がよかったのか初めてのクラスで体中の筋肉がほぐれていくのを感じ、毎週2、3 回続けている限り体調はとても良くなった。 私が通うクラブは女性専用でジムの設備やインストラクターも充 実しており、エアロビックスは毎日早朝から夜7時まで各種のクラスを設けているので自分の都合の好い時間と 気に入ったインストラクターを選んで参加できる。 香港では高級な方だがバカ高い入会費はなく1年分の会費 を前払いすればいつでも好きなだけ利用できる。 近頃は競合のフィットネス・クラブが増え競争が激しくなっ たためここ数年は値段も安定している。 フィットネスよりはむしろ金持ち夫人やキャリアウーマン向けの痩身 や美容、マッサージ等で儲けているらしくゆったりとした内装や調度品は豪華でメイドさんが常時あちこち綺麗 にしていて豪勢な気分でリラックスできる。 これも香港ならではの一つかもしれない。

いつの間にやら香港暮らしも17年になろうとしている。 当初は慣れなくて不便なことばかりが目についたも のだが住めば都とはよく言ったもので、徐々に都合の好い面も発見し今となっては日本に帰ることになるとずい ぶんとうろたえることだろう。 日本人駐在員夫人の多くも当初のハードルをよいしょと乗り越えたところで帰 国までの限られた期間を目いっぱい楽しみ、帰国命令が出るとほとんど悲壮な面持ちで半ば自棄気味でさえあ る。

慣れてみると香港は色々便利でしかも日常に必需とするサービスが安くて充実している。 多少値は張るが日本 の商品は大概手に入るし、豆腐、しいたけ、蓮根、大根、銀杏、干しえび、栗などの食料品も言ってみれば本来 は中国物で、日本で買うより安い。 子供たちが小さい頃住んでいたハッピー・バレーのアパートのすぐ側には 街市(ガイシ)、つまりウエット・マーケットがあり新鮮な季節の野菜や果物がうずたかく盛られ「ヤオペー ン、ヤオレーン! マーイメヤネ?」 (安くて美味いよ、何買うねん?)とスーパーが登場する前の昔懐かしい 日本の市場のおじさん、おばさんとそっくりな掛け声で毎日朝早くから賑わっていた。 肉屋さんでは大きな肉 の固まりがいくつもぶる下がっていて、これ半斤とかHK$20分頂戴というとそのとおり切り分けてその場で ミンチの機械にも掛けてくれる。 しかし、ぼんやりしていてはいけない。 後ろからおっちゃんが、「タイチュ ー、タイチュー!」 (気ぃつけよーっ)と叫びながら屠殺して内臓出したばっかりの豚の開きを背中におんぶ して突進してきたり、生け簀の魚に水をかけられるかもしれないから。 鳥屋さんでは生きた鶏や鶉が狭い檻に いっぱい並んでいてさながら小さな動物園。 子供たちにとっても刺激的な場所で付いてきては子供好きの中国 人に可愛がってもらった。 時々、モンキーバナナやスイカの切れ端、ねぎの束などを御褒美にもらったものだ った。 子供たちが小さかった頃の思い出がいっぱい詰まった青空市場、久しぶりに通りかかるとコンクリート のビルに入ってしまっていた。

香港の交通機関は良く発達していてしかも非常に安価だ。 極めつけはオクトパスカードという磁気カード。 H K$100なりHK$200なりの分を払っておけば地下鉄MTR(Mass Transit Railwayの略)、KCR(九 龍広東鉄道Kowloon & Canton Railwayの略)、路線バスどれでも改札や乗車時にバッグや財布超しにピッと上か ら当てるだけで利用した金額が落とされ残額が表示される。 残額がなくなればお金を足して半永久的に利用で きるので便利だし資源も無駄にならない。 世界一の過密都市で最も利用されているMTRのどの駅も清潔で大 量の利用客の流れがぶつからないように良くデザインされていて感心させられる。 エスカレーターやエレベー ターはもちろん完備しているし、車椅子利用者の階段登り下り用の器具やサービスもありだ。

バスも最近はフランチャイズ競争で新しいバス会社が参入してからサービスも車体も随分良くなった。 日本の ように余計な車内放送も無く新しい車体は乗り心地も良い。 次男の通学にも利用しているが片道10分ほどの 道のりが子供料金で確かHK$3(50円位)。 しかし、3月から早々と冷房が入り効きすぎて寒い。

ミニバスはまだオクトパスカードを使用できないので小銭を用意しておかなくてはならないが、頻繁に来るし、 手を上げるとどこでも拾ってくれ、下りる時は「有落!」(ヤオロッ、下ります)と叫べばどこでも降ろしてく れる。 私が自宅前から最寄りの地下鉄駅まで乗るミニバスはHK$3.8。 14人乗りの定員になればそれ 以上乗せない。 これは徹底している。 タクシーは初乗りHK$20(300円ぐらい)でこれも庶民の足。 電話で呼び出せばHK$5の呼び出し料金がかかるが大抵すぐ来てくれる。

実に便利で快適な事が多い。 しかし、気に入らないこともある。 皆どうして所かまわず大声でがなりたてたが るのだろう。 くだんのフィットネスクラブ、使ったタオルを所定のバスケットに入れないでその辺にほっぽら かしたり、大声で喋ったりとマナーの良くない人が多い。 バスやMTRに乗ると周り中から携帯電話の電子着 信音、そして周囲の騒音に負けまいとひときわ大声でがなりたてる人たち。 ミニバスの運転手はカーラジオを 最大ボリュームにして騒がしいトーク番組や越劇の歌を乗客に「サービス」してくれる。 タクシー運転手は客 が乗ってから下りるまで仲間と無線で下らない話を大声で続け、中には違反になった携帯電話を放さない輩も多 い。 満員のエレベーター内でも大声で喋る人の多いこと。 自宅できちんと朝食を取らないで、会社に着いて から出勤途上で仕入れてきた朝食を取る人の多いこと。 それはいいとしても口の中に思い切りほうばりながら 大声で喋るのだけは止めて欲しいのだ。

文字、仏教、儒教、教育、都市計画、宮廷文化など日本は中国を様々な文明の師として仰ぎずっとお手本として きた。 そんな中で食事に関して日本人には箸を使う所までは教えてやったが、最後にスープに使うスプーンま では教えてやらなかったんだ、などと誰かが意地悪く言っていた。 (日本の汁椀は持ち上げて飲むことになっ ているが、テーブルマナーなど実際にあるのか疑わしいほど寛容な中華料理でも持ち上げてよいのはお箸とご飯 茶碗だけ。 日本人がラーメンの丼などを持ち上げて飲むのをはしたないと思っているのかもしれない。 うどん もラーメンもすっかり定着したがこちらでは必ずスプーンがついてくる。) それじゃこの騒々しさはなんなん だぁ。







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1月8日


「映画ー3」

最近見た映画の中からちょっとしつこく。

「Place Vendome」 1998年作。監督ニコル・ガルシア。 宝石の密売をめぐり昔の恋人に裏切られ、その後 パリ、バンドーム広場の一流宝石店のオーナーと結婚するが生きる気力を失いアルコール中毒ですさんだマリア ンヌのカトリーヌ・ドヌーブがいい。この人50才を過ぎて美しさに凄みが出てきたようだ。 夫の死後隠され ていたダイヤモンドを巡り再び闇の宝石の世界に。 そしてかつて裏切られたが忘れることが出来ない恋人と1 7年ぶりに再会する劇的な瞬間。 例のごとくストーリーが複雑に展開するので上映時間中緊張の連続。 カトリ ーヌ・ドヌーブはこの作品でベニス・フィルム・フェスティバルで最優秀女優賞を受賞。 これは湾仔ウォータ ーフロントにあるアートセンターで観たが、上映後向かいのグランド・ハイアットのコーヒーショップで飲んだ 赤ワインがおいしかった。 もちろんフランスチーズの取り合わせがあってこそ。 カトリーヌ・ドヌーブがカマ ンベールを買いに行くシーンを見てから絶対に決めていたコース。

「Le vent du nuit」 英題 「Night Wind」 1999年作。監督フィリップ・ガレル。 これもすさんだカトリ ーヌ・ドヌーブが光っている。彫刻家志望の若い恋人ポールとの情事に溺れるが逆に自らの美貌の衰えを感じ自 虐的になるエレン。 そうしたエレンから逃れるためにポールはナポリの彫刻の師匠を訪ね才能の限界を意識す る。そこで知り合った建築家のセルジュにパリまで車で送ってもらう。その車というのが真っ赤なポルシェ。そ のかっこいいこと! ドイツのアウトバーンや冬のパリの濡れた石畳を掴むようにして走るそのさまは生き物の よう。 香港でも結構ポルシェを見かけるが車も場所を選ぶようだ。そしてエレンはセルジュとパリで出会う。 セルジュは5月革命の影と死を引き摺って。 このセルジュ役の Daniel Duval が渋い。上映前彼がスクリーン 前に現れて挨拶があった。早口のフランス語で字幕がなかったから困った。

「Comptoir」 英題「Marie's Counter」1999年作。ジャック・タチの娘ソフィが監督。 戦前(1915 年から戦中(1940年代のドイツ軍占領時代)、1975までのブルターニュ地方田舎の庶民生活が織り込ま れている。 マリーは長年一人で切り盛りしてきたカフェを閉め店の中のものを競売にかけ、思い出の品をバッ グに詰め村を去るところ。 カウンターを買ったのはパリからやって来た女、ジョエル。近くにある別荘に運ぼ うと車のルーフに積んで田舎道を走っていると村中の男達が次々と引き寄せられて来てとうとう自宅をバーにさ せられてしまうお話。カウンターは村の歴史そのものだったのだ。 マリーのカフェは村の男達の溜まり場でそ のなかには彼女に思いを寄せる男たちも何人かいた。 カフェは結婚披露パーティーにもなり、マリーが運んで きたウェディングケーキは円筒形のキャラメルにシュークリームの皮を貼り付けたもので多分ブルターニュ特有 のものなのだろう。 戦前のブルターニュの女たちは本当にあのレースの帽子を付けショールを羽織っていたよ うだ。「都会」ブレストに夢を抱きながら。ブルターニュの人たちはもともとウェールズやコーンウォールから 流れてきたケルト系なので音楽もアイルランドのものに良く似ているのがあってこれがまたよかった。

にわかバーの主にさせられたもののジョエルはパリから一緒にやってきた女友達と建築の模型を作っている。あ と少しで完成という所で蝋燭の火が燃え移りおじゃんになってしまう。 しかも提出締め切りには間に合わな い。 がっかりするがすぐに持ち直してケラケラ笑ってしまう。 彼女たちにもブルターニュ魂が乗り移ってしま ったようだ。 年取ったマリーと幼なじみが出てくる意外なエンディングもやっぱりよい。丁寧に丁寧に作られ ていて細部にも興味をそそられる。電灯が灯る前のランプの生活は光と影が美しく交錯して映像もとても美し い。 一度観てすぐその次の上映の切符を買いに行った。何回も観てみたい。 行ってみたいなブルターニュ。

「Serial Lover」1997年作。どういう訳か英語の原題。ストーリーからして「Serial Killer」となるとこ ろをしゃれてこうなったのだろう。 フランスのドタバタ喜劇はとってもおしゃれ。美人独身キャリアウーマ ン、クレールは35才。 仕事にも男にも恵まれかっこいいアパルトマンに住む。 あとはその内の一人を選んで 家庭を持つのみ。 彼女の誕生日に4人のボーイフレンドを自宅に招き手料理でもてなすところまではよかった が次々ととんでもないことが起こる。 弾みでどんどん人が死んでいく所をぎゃーっと見事に笑わせてくれる所 が恐い。とどめのエンディングも。

フレンチ・メイのスポンサーの中にエルメスがあった。 毎回上映の最初にコマーシャル・フィルムが流れるの だがあれだけ見せられると洗脳されてしまったのかスカーフ2枚買ってしまった。スポンサーの効果大いにあ り。

16年前香港に降り立つ直前時飛行機から見た香港島は情けないほど小さく、こんなに狭い所で暮らさなきゃ行 けないのかとがっかりした思い出があるが、どっこい災いを転じて福となす(?)狭い土地柄だからこそ仕事の 後一旦家に帰って食事をし、それから夜の9時半とか11時半の映画を見に行くことも可能なのだから。 シネ マテックやアートセンター、シティーホールで上映される映画には全て市政局の補助が出ているから一般の映画 館より安い料金で良質の映画を楽しむことが出来る。 香港には文化がないなんて言ったのは昔の話、こと映画 に関しては。ひょっとしたら天国かもしれない。








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1月1日


「映画ー2」

残念ながら私個人としてはあまり香港映画というものに親しんでいない。良い映画も多くあるらしので、じっく りと鑑賞してみたい気もするが、日常生活で今一つ上達しないけたたましい広東語の渦に揉まれてアップアップ している分、そこからウンと離れた世界、例えばフランス語の世界などに浸ってみたくなる。とは言ってもフラ ンス語がそれほど分かる訳ではないので勢い英語の字幕に頼ってしまう。ややこしい映画鑑賞となる。 昔日本 で観たフランス映画は当然日本語の字幕が出ていたがフランス語とかけ離れた日本語よりは英語の字幕の方がむ しろ抵抗なく感じられる。 それでもフランス映画は会話が長かったり筋が複雑に展開したりするのが多いので 劇場から出て来た時は緊張と興奮でガチガチ、それにフランス語との格闘が終わった開放感とが妙に入り交じ る。 それでも気に入った映画はチャンスと時間があれば2度見に行くこともある。今度こそはなるべく字幕を 見ないでリラックスして楽しむゾと臨む。 結局は前回の状態と大して変わらないのだが。

そんな中で今年も沢山のフランス映画を楽しんだ。5月のヌーベル・バーグ特集では念願のトリュフォーの「大 人は分かってくれない」原題は何故か「Les Quatre Cents Coups」中国語題「四百撃」。 望まれない子として 生まれおばあさんに育てられたアントワンはおばあさんの死後両親に引き取られるが大人の身勝手と社会の無理 解、無寛容、そしてふとした成り行きから取り返しのつかない道に追いやられてしまう。 白黒で観る1950 年代のパリの景色、人々、音楽は何と懐かしい世界。 教条的で誰のためだか分からないような教育を押し付け る学校でも子供達の無邪気な悪戯やお茶目さが楽しい。 もっと何回か繰り返し観たかったが前売券は2週間前 から売り切れ。 もっと若い時にも観ておきたかった。でも子供を持って歳をとっていろいろな経験をした今の 方が味わい深く感じられるのだろう。 20代の頃見たアラン・レネの「広島我が愛」や「去年マリエンバート で」はひたすらしんどい印象が残っていただけだが40才も大きく過ぎて観た今回はいろいろな面でじっくりと 堪能できた。 歳をとるのもそう悪いことばかりじゃないなと嬉しい気持ちにもなる。

ルイ・マルの 「Les Amants」に出ているジェンヌ・モロー扮する金持ち夫人のファッションのかっこいいこ と。カチッとしたエレガントなスーツ、髪にはスカーフを巻き、長い革の手袋でオープンカーを運転する所なん てニクイったらありゃしない。 夕食後散歩に出た邸宅の庭の石の上に無造作に置き去ったグラスはサンルイの クリスタルじゃありませんか。 何不自由ない生活だが退屈な夫との生活に愛想を尽かし最愛の娘を残して破滅 的な駆け落ちに走るジャンヌ・モロー。髪をかき上げて無造作にアップにまとめてしまう所なんてニクイ、ニク イ。 「Jules et Jim」 邦題 「突然炎のごとく」と並び現在見てもとても新鮮。
香港にはフランス名画座といった商業映画界はない。しかし、毎年5月にフランス領事館の肝いりでFrench May いうイベントがあり絵画、彫刻、建築、音楽など4月の末から始まるいろいろな催しの中に映画祭もある。 こ の数年は毎年映画監督を絞り込んで例えば97年はエリック・ロメ、98年はアラン・レネ、そして99年はヌ ーベル・バーグ特集がありシネマテックかアートセンターで毎日違った映画を上映している。無料で配布される 映画評論もなかなか立派で読み応えがある。 また、12月にはシティーホールでフレンチ・シネパノラマがあ り最新のフランス映画が1週間連日上映される。これも一つの映画につき1回か2回しか上映しないのでクリスマス・パーティが目白押しのこの時期見たい映画は逃したくないし、辛いところだ。 French May にしても French Cinepanorama にしても企業のスポンサーをつけ、立派な色刷りの案内にも興味をそそられる。









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