6月15日号


上海の旅 − 1




香港と同じくアヘン戦争に敗れた中国が余儀なく開港させられたのが上海港。その後 欧米列強が競って租界地を築き、その国際的繁栄は外灘(ワイタン)にずらりといな らぶ華やかな西洋名建築群に代表される。その裏では「犬と中国人は入るべからず」 など掲げられた立て札の黄浦公園や阿片窟、犯罪のはびこる東洋の魔都など中国にと っては屈辱的な時代が続く。かつての繁栄はそれゆえに革命の痛手を最も受け、有産 階級は没落や海外移住の途に。それにもかかわらずその間繁栄を続けてきた香港でも 上海床屋、上海テーラー、上海料理、上海美人、レトロ調上海スタイルの店舗、と中 国人にとって上海はその古い庶民性と時代の最先端を行く洗練された都会性とが混ざ りあって醗酵し、不思議な魅力のある都市として常に一目置かれてきた。中国一の商 都市、目覚しい経済発展を遂げている上海ってどんなところだろう。

西安から到着したのはメーデーの夕刻。経済活性化を狙い2年前からメーデーは1週 間の祭日。地方からの観光客で交通混雑するかと思ったが空港からホテルまでの高速 道路は驚くほどスムーズ。途中高層ビルが途絶えることなく建築中のものも多く、さ すがに経済繁栄を感じさせる。

南京東路・外灘(ワイタン)
ホテルは上海隋一の目抜き通り南京東路のすぐそば。最上階の客室から外灘にある和 平飯店の三角屋根が南京東路の端に見える。散歩がてら外灘に出かけた。歩行者天国 になっている南京東路はこの日始まったばかりの7連休のせいで広い道幅いっぱい大 変な人出で埋め尽くされ、思うように歩けない。やっとの思いで外灘に到着したがこ の頃には人出はさらに増え、黄浦江の川風を浴びながらのんびり散策どころではなく なった。周りにいる人たちはどう見ても上海っ子ではなく、一世一代中国一の大都会 見物に精一杯おしゃれをしてやってきた地方からの観光客。 後で聞いた話によると この連休の間上海の人口1400万に加えて200万人の観光客が押し寄せていたの だった。当然一番の名所外灘がごった返す訳だ。なるほど黄浦江に面して和平飯店、 旧香港上海銀行、旧上海クラブビル、上海海関ビルなどの1920年代の歴史的名建 築が並ぶ外灘は壮麗。 それと対照的に対岸の浦東は超高層ビルの建築ラッシュ。し かし10年ほど前までは漁船を修理する小さな工場や倉庫が点在するうら寂しい場所 だったそうだ。外灘のあちこちのビルの屋上からレーザー光線が舞い、これで花火で も上がればディズニーランドといったところだ。さすが中国一の大都会。

人ごみにもまれ南京東路でお茶でも飲もうとフローズン・ヨーグルト・ショップに入 った。香港でもよく見かけるTCBY。どの店も混雑しているがここは群衆が押し寄せて こない。中国名がふるっている。「天使冰瓜」なんとなく感じがつかめなくもないが 、両方しばらく見比べて、ピンポーン! TCBYの音訳「ティン・シ・ビン・グワ」。 中国的名訳。ちなみにフローズン・ヨーグルト2個とアイス・ティー一杯で62元。 これは先ほど入った日本のラーメン屋のラーメン1杯とビール一本30元に比べると かなり高いかも。

外灘には翌朝もう一度繰り出してみたが甘かった。やはり猛烈な人出。南京東路から 外灘に渡る地下道の階段は危険なほどの混雑。階段を下り始めると突然、近くにいた 女性が猛烈な剣幕で夫に怒鳴り始めた。彼女が抱いている子供が飲み物を振り回して 前の人の頭や周りの人に掛かっているのを注意したのが気に障ったらしい。すると外 灘で子供に乗せようと思って買ってきたばかりなのだろう、大きな子供の乗り物のお もちゃを抱えたご主人らしい男性が申し訳なさそうに夫に「すんませんなぁ」と謝る 。それを聞いた件の女性は一層声を張り上げ「謝ることないっ、ぎゃー」。かなり強 い上海訛りで夫も半分ぐらいしかわからなかったそうだ。混雑で殺気立つ気持ちもわ からなくないが、強い上海女に優しい上海男。香港でもよく見かける光景。たとえば 、駅や道端で男の子の顔をひっぱたかんばかりに怒っている女の子。男の子はおろお ろして「僕が悪かった。なぁ、なんでもするから機嫌なおしてえな、、、」。めでた く結婚すると料理をするのは何故かたいてい男の子。女の子はテレビを見ながら料理 の出来るのを待つ。子供が出来て家庭でハンバーグショップに入る。日曜日の盛り場 の店はどこも混雑している。やっとの思いで席を確保し家族を座らせ全員に何が食べ たいか聞きカウンターに飛んでいくパパ。山のように抱えてきた注文の品を家族に渡 す時のパパの嬉々とした顔。ママと子供は表情も変えず追加注文。そしてパパは再び カウンターに飛んでいき、、、。この上海ファミリーもこんな感じかしら。 早々に 撤退し徒歩10分の豫園に向かう。

豫園 (よえん)
この辺りは租界が作られる前の上海の中心で20世紀の始めまでは城壁に囲まれてい たそうだ。浅草のような下町風情がある。しかしここも大変な人出。豫園はもともと 明代の役人の屋敷として造られたがその後歴史の波にもまれ何度か荒廃しては再建さ れ現在では上海きっての観光地。園内は江南の名石をふんだんに使った池や回廊、朱 色にそっくり返った屋根のいくつもの楼閣と門、中庭を挟んで舞台と観劇用の楼。こ こで屋敷の主は正妻、第二、第三、第四夫人、そしてそれぞれの子供達をずらっとは べらせて中国劇を楽しんだのだろう。かつての時代の大金持ちの暮らしを垣間見る。 豫園の周りは豫園商城とよばれる一大商店街。明朝様式の建物のデパートや商店、レ ストランがひしめく。ここにある城隍廟の門前にかつて近隣からの手工業品が集まっ たのが始まりらしい。更に行くと古い家並みを復元した上海老街。土産物や家具、ニ セモノの骨董品を売る店がずらりと並ぶ。この辺りで上海名物の小龍包でも昼食に食 べようと思っていたのだがあまりの人出に計画変更。旧フランス租界地、淮海路に向 かう。






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