スタンレー(赤柱) −1 海賊が建てたお寺 香港島南端の海に突き出したスタンレー(Stanley)は香港住民にとってはピークやリパルスベイと並ぶ風光明媚な羨望の最高級住宅地。週末のスタンレー・マーケットは観光客や買い物客で大賑わい。以前は籐家具や家庭用品、食料品の店が多かったが、ここ10数年の観光ブームでおみやげ物やスポーツ用品、若者のファッション・ブティックとずいぶん様変わりした。 海岸通りのスタンレー・メイン・ストリート(赤柱大街)は日曜祝日の昼間は歩行者天国になり、通りに面したバーやレストランから持ち出されたテーブルや椅子、ストリート・パフォーマー、それを楽しむ人たちで賑わう。 スタンレーはもともと貧しい漁村だったが昔この辺には海賊が頻繁に出没し、その代表格のチョン・ポーチャイ(張保仔)が清の時代にこの地に本拠地を置き大いに暗躍していたのである。チョン・ポーチャイは広東省の漁師の息子で15歳のとき海に出て海賊に捕らえられ、その親分、チェン・ヤッ(鄭一)の手下にさせられた。そのうち見込まれてチェン・ヤッの片腕にまで昇進し、1807年チェン・ヤッが海難事故 で遭難すると跡を継いでしまった。これにはちょっと訳があり、チェン・ヤッの女房ドラゴン・レディがチョン・ポーチャイにほれ込み跡目相続に大いに力を発揮したらしい。ドラゴン・レディは海賊仲間では絶大なる権力をもちカリスマ的存在だったのだ。ドラゴン・レディと組み勢力を増強したチョン・ポーチャイは、清朝の海軍などものともしなかった。 チョン・ポーチャイが財宝を隠していたという洞穴や、小高い丘から獲物を探した山道に彼の名前が残り、その伝説は今でも人々に親しまれている。村人から生活必需品を買うときは倍の値段を払い、広東に向かう外国船商船を捕まえて「保護料」を求める時も礼儀正しく接し、航海の安全を願って沿岸にお寺を建て、そこを見張り台にするなどぬかりなかった。 どうもロビンフッドやねずみ小僧のような存在であったようだ。 チョン・ポーチャイの一大勢力は5千500人の手下を抱えるに至ったが、その期間は1807年から1810年までと短かった。最後に清朝海軍と戦った後、さっさと海賊を廃業し清朝の役人に召抱えられ、その後の海賊の沈静に貢献したというからおもしろい。 チョン・ポーチャイが建てたお寺は香港島や長州島などあちこちにあるがスタンリーにも一つある。スタンレー・マーケットを出てスタンレー・メイン・ストリートのはずれに最近建て直して新築ピカピカの「天后古廟」がある。 天后とは海を守る女神のこと。訪れた時がちょうど旧正月の頃でお寺の横にスタンレーの古い住民団体「赤柱街坊」が据え付けた新年の、何というのか、ひときわ派手派手しい飾りものに圧倒される。 長いことかかって工事していただけあって屋根や壁に施されている絵もなかなか立派。 内部は次々とお参りする人の供える線香の煙に包まれているが、ここも赤と金、その他の極彩色尽くしで相当にきらびやか。 この中にチョン・ポーチャイが残したといわれる銅鑼と鐘が祀られているそうだ。 海の女神様は今日も安全をまもってくれているのだろう。
スタンレー・マーケットの入り口。中はすごい人出でとても写真など撮れる状況ではない。 スタンレー・メイン・ストリートの入り口にあるフレンチレストラン&バー。隣はもっとおしゃれなベトナム・レストラン。 スタンレー・メイン・ストリート。この先にチョン・ポーチャイのお寺あり。 チョン・ポーチャイが建てたという海の神様を祭る「天后古廟」 お寺の壁画。立体的な地の上に丁寧に描いてあります。 天后古廟の内部。祭壇の左端床にある座布団みたいなのにひざまずい てお祈りします。
バックナンバー
「なにわの掲示板」に ご感想、ご意見を書いていただくとうれしいです。