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目  次
【9月18日号】【9月2日号】【8月26日号】
最新版が一番上に来ていますので順番が逆になり、ちょっと読みづらいかもしれませんがご容赦を!
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9月18日


「日本への一時帰国 1」

 約二年ぶり二ヶ月半の滞在となった今夏の日本への一時帰国、 その間に思った事や感じた事を綴ってみました。

その1「和式トイレ」

 滞米四年を超え、そろそろ生まれてから日本で過した期間とアメリカに住む期間が同 じくらいになる娘九歳が日本に帰って最初にとまどったのが和式トイレでした。
アメリカには洋式トイレしかないためか、用を足す時にしゃがむという事がどうして もできないらしく、夫の実家では、わざわざ二階の義兄の家族が住む家(ニ世帯同居なのです)まで、洋 式トイレをもとめて遠征していましたが、NYに来るまで私達が住んでいた京都の社宅 はたしか和式だったはず。
五歳までしか日本にいなかった娘にはその頃の記憶さえ、もうかすかな物になってし まっているのでしょうか?
田舎のひいおばあちゃんのうちには、いまだに汲み取り式の和式トイレしかないので すが、 そういえば、二年前の一時帰国で田舎に帰ったときにも、汲み取り式のトイレが恐く ておもらしをしてしまった経験が彼女にはあったのです。

その2「娘は箱入り」

 娘は、おばあちゃんも夫も通っていた渋谷区の笹塚小学校で十日間の体験入学をしま した。
ランドセルを背負って、黄色い帽子をかぶり、1歳年上のいとこと一緒に通学する姿 は、普通の小学校三年生。
でも、NYでは学校へも、お友達の家にいくときも親が送り迎えをするのがあたりまえ なので、娘は1人で外を歩いた亊なんか1回もないのです。
日本では歩くというのが常識で、小さい頃から知らず知らずのうちに交通道徳が身に ついていると思いますが、 車社会のアメリカで育った娘に、車やバイクや自転車が走りまわっている日本の狭い 道を1人で歩かせるなんて、危険このうえない行為です。
学校まで五分の道のりとはいえ、車にひかれないかと心配で心配で、毎日のように終 業時間に学校の門の前に立って待っていた私は、ある日、とうとう近所の人に声をか けられました。
「あのー、毎日この時間にここにいらっしゃいますけど、今日も学校で何かあるんで すか?」
「いえー、あの、その、娘が1人で道を歩くのが危ないので迎えに来てるんです」 もしかしたら、私は不審人物に思われていたかもしれない・・・・・

その3「コーヒー牛乳の味」

 「日本の学校なんかいやだ 絶対に行かない!」と体験入学の拒否宣言をしていたわ りには、第1日目から何の問題もなくすんなり溶け込めて、お友達もたくさんできた 娘が、毎日一番楽しみにしていたのが給食でした。
小さい頃は好き嫌いが多かった私にとっては、あんまり良い思いではない給食ですが 、娘は毎日のメニューを暗記するほど楽しみにしていて 学校から帰ってくると、毎 日の給食の感想をまず一番はじめに報告してくれました。
NYでのランチなんて、サンドイッチがあれば豪華なほうで、子供によってはリンゴと ポテトチップスと飲み物だけ、なんていう事も普通です。
そういうランチに慣れてる娘には、毎日いろんなメニューの暖かい物が食べられて、 果物や、牛乳やパンまでついている給食がすごく魅力的だったにちがいありません 最近の給食は味付けもほんとうにおいしいらしいのです。
その娘がたったひとつ残念でたまらなかったのがコーヒー牛乳が飲めなかった事で 給食のメニューになっていたコーヒー牛乳が出る日は、大阪に帰る日だったのです どうしても飲んでみたいから、もう少し学校に行きたいって校長先生にお願いして欲 しいと言い出すほどで、 買ってあげるから、それでいいじゃないと言っても、給食に出てくるコーヒー牛乳が どうしても味見してみたいのと かなり抵抗をしていました。
結局娘は、コーヒー牛乳の味をみる事ができませんでしたが、日本に帰って来た時に 学校に通う楽しみができたみたいです。

その4「微笑まない外国人」

 日本人の顏は表情に乏しいと良く言われます。
NYに生活していて、街を歩いていたり、買い物をしたりしていて、ふと誰かと目が合 った時に軽く微笑んだり、一言ニ事言葉を交すのはごく当たり前の事でした。 後ろから来る人の為にドアを押さえておいてあげるのも常識だし、少しでも身体が触 れればエクスキューズミー、きれいな歯並びの真っ白い歯でニコッとされると、それ がたとえ作り物の笑顔でも気持が良くなるものなのです。
視線が合ったらスマイル が四年間のうちに、知らす知らずに身についていた私が  秋葉原で買い物をしていた時、横にいた外人(たぶんアメリカ人)と同じ物を手にし ている事に気がつきました。
その瞬間、彼の目を見つめておもわず自然にスマイルした私にかえって来たのは、冷 たい視線。
そうか、ここは日本だから、そんな亊をすると、なんだこの女性はと思われてしまう かなぁとちょっと反省。電車の中などでも、外人と視線が合ったら自然にスマイルし ている私、でもやっぱり彼等は微笑みませんでした。
唯一、微笑み返して言葉を交したのは、やっぱり日本に旅行にきていた外人だけでした。
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9月2日


「緊急着陸」

 私のNY便りによく登場するアメリカ人の御主人がいるAさんは、北海道の出身です。 今回、私とほ同時期に日本に里帰りしていて、私が東京の夫の実家にいるときに澁谷 で待ち合わせてお昼を食べたりもしたのですが 私より1ヶ月程前にNYに戻ってきま した。
 そのAさん、日本の某航空会社の飛行機で帰ってきたらしいんですが、飛行機が飛び 立って数時間後、機長のアナウンスが入ったそうです。
「お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんでしょうか?ケガ人と急病人が発生し ました」
どうしてケガ人が? と不思議に思っていると、しばらくして隣に坐っていたアメリ カ人のところに、別のアメリカ人が来て、興奮して喋りはじめたそうです。 乗客の中の一人のイスラエル人が精神的に不安定らしく、急に暴れ出してスチュワー デスに殴りかかったらしいのです、横にいた頑強なアメリカ人の男性二人がなんとか 取り押さえたらしいのですが、まだ興奮状態が続いているようで、精神安定剤を注射 して、座席にロープで固定されているようで、スチュワーデスはケガをしている模様 とか。
機内はなんとなくザワザワと、乗客は何があったんだろうと興味しんしんで、アメリ カ人から聞いた話を彼女はまわりの日本人の乗客に話しだしたそうです。 すると、しばらくしてまた機長からのアナウンスで、
「当機は、急病人とケガ人のために、アラスカのアンカレッジ空港に緊急着陸いたし ます」
機内は、ますますザワザワとなり、彼女の伝えたイスラエル人の話しがどんどんまわ りの乗客たちに伝言ゲームの用に伝わっていったとか。
アラスカに緊急着陸してもなかなか再び飛び立つ気配がない飛行機の中で、またまた 機内アナウンス
「乗客の皆様は、一旦飛行機を降りられて、チェックインの際に預け入れされた荷物 を各自一旦おひきとりください」
精神不安定なイスラエル人は、チェックインの時に荷物を二個を預けているという記 録が残っているにもかかわらず、預けていないと言いはっており、もしかしたら彼の 荷物には爆破物がしかけられているので、自分1人だけアラスカで飛行機を降りるた めに精神不安定者のようなふるまいをしたのではないかという疑惑がでてきており、 イスラエル人の荷物を早急に発見する必要があるらしいのです。
爆破物と聞いてびっくりしてしまい、なんだか、たいへんな亊が起ったなぁと飛行機 を降り、荷物を確認したあと、JFK空港に迎えにきてくれるはずだった御主人に電話 したそうですが、数時間かかって乗客の荷物の確認や機内の安全確認、荷物の再積み 込みがされてやっとアンカレッジ空港を出発、JFK空港に着いたときにはすでに夕方 になっていたそうです。
燃料がたくさん残ったままで飛行機が着陸するというのはたいへんな危険を伴う場合 もあるそうで、よほど緊急な場合にしか行われないとか。
「ハイジャックなんかじゃなくて良かったわ」と彼女は笑っていましたが スカンク事件といい、今回の緊急着陸事件といい、彼女のところにはおいしい(?) ネタがいっぱい。
NY便りの登場人物のなかでも、常連さんの一人です。

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8月26日


「フリントン」

 長い長い夏休みでした。
日本から帰って来た私たちが、家の中に入って一番印象的に感じたのは我が家の匂い でした。 始めてこの家の玄関に足を踏み入れたときに感じたのとまったく同じ懐かしい匂い、 住む人が変っても、たぶんこの家自体が持っているだろう、ペンキや木の匂いが 始めての異国での生活に、不安感や期待を抱いていた4年前の気持と一緒に、なつか しく蘇って来ました。
 それから、やっぱり懐かしかったのはスカンクの臭いでした 高速道路を走っていてスカンクの臭いが鼻をかすめた時、「NYに帰ってきたんだなぁ」 と懐かしく思いました。 スーパーマーケットにも独特の匂いがあります。 食料品と人の匂いが混じり合っている匂い、これもやっぱり懐かしく、NYに来た頃の 緊張感を思いだして、胸が熱くなります。
2ヶ月半という長い日本への帰国のあいだに いろんな人と出会えました。 始めてのオフミにでたり、NYに住んでいた友達を東京や埼玉に訪ねていったり、 自分が日本人である亊を再認識した帰国でもあったような気もしますが、 このへんはまた一時帰国の報告として少しずつ書いて行きたいと思っています。

 娘の大親友ZOEは私達が帰ってくるのを待ちわびて何度も電話をかけてきたようでした 私達が帰って来た日もすぐに遊びに来て欲しい様子で、ビーチに行こうと誘ってくれ ましたが、さすがに、13時間という時差もあることから、次の日に遊ぶ約束をして納得してもら えました。
次の日、ZOEの家の玄関には「Welcome Home RYOKO」という大きなはり紙が。 Wendyも「おかえりなさい、寂しかったよ」とぎゅーっとハグで迎えてくれました。 しばらく お茶を飲みながらいろいろつもる話しをしていたのですが、なんと2ヶ月 半のうちに、もともと流暢でない私の英語が ますます錆び付いていました。 聞くのはなんとかできても、喋るほうがいけません。 娘は「ママー、私の英語はもうよみがえったからねー」とVサインしてるというのに 私一人、冷や汗を流しながら会話していました。
「ところで、クリントンについて日本人はみんなどう思ってるの?」 といきなり質問されて、なんと答えたらいいいのかわからなくて苦笑いしていると 「あなたと私の仲だから正直に言っていいのよ、バカだと思っているんでしょ?私も そう思うわよ」
「ケネディも同じように たくさんの女性がいたらしいけど、昔と今はちがうんだし ね」 
「でも、マスコミもマスコミだよね、クリントンはいけないけど、ヒラリーがかわい そうだよ思うよ」
とWendy
ところで、私はなんと答えてあげたのでしょうか
「日本ではクリントンの事をなんて呼んでるか知ってる? フリントンって言うのよ 『フリン』っていうのは 奥さんの他に女性を作る事を意味する単語なのよ」 Wendyはしばらく笑っていましたが、ほんとにこの意味わかってくれたのかなぁ?



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