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【8月9日号】
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9月13日
「サントリーニの休日 4」
わずか数日の間に、膨大なメールが届いていて、そのほとんどが夫の仕事関係
だった。何やら落ち着かない様子の夫。そうこうしているうちに、携帯電話が鳴り
始めた。(ホリデーに携帯電話を持ってくるかぁ?)ますます落ち着かなくなった夫。
しかし、ツアーなので帰るに帰れない。
同じアパートの英国人ファミリーは、どこかへ出かける様子もなく、連日プール
サイドのデッキチェアーに横たわり、本を読んだり、プールで泳いだりして過ごして
いる。別に退屈している様子もなく、むしろ優雅にホリデーを楽しんでいるかのように
見える。ところが、日本人感覚の抜けきらないわが家族は、悲しいことに、この
「ただ、ひたすらのんびりと・・・」というのが、苦手を通り越して苦痛になってきていた。
仕事が気になって仕方ない夫は、夕日の美しさにも「何がエーゲ海の夕日やっ、
瀬戸内海の夕日の方がよっぽどきれいじゃわい。」とのたまい、挙げ句の果て
には「これ以上こんなところで無駄な時間を過ごしていたら、気ぃ狂いそうやっ」
と言い出した。何たることか!ひたすらのんびり過ごすはずのホリデーなのに・・・
と思いながら、正直私も英国の家の少々手のかかる洗濯機が恋しくなってきていた。
その後は帰る日を指折り数えて待った。英国に帰り着くと、そこはもう秋の気配が
漂っていた。
在英6年の日本人の友人に、わが家のホリデーの顛末を話したところ、最初の1、2年
は、友人宅もそうだったという。しかし、6年もいると、何もしないでのんびり過ごすこと
が平気で出来るようになったという。なるほどなぁ、と思って聞いていたが、ふと
頭をかすめた。わが夫は10年住んでも20年住んでも、何もしないで過ごすことなど
到底出来ないだろうなぁ、と。
完
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9月9日
「サントリーニの休日 3」
暑い。とにかく暑い。じっとしていても汗が吹き出てくる。肌寒い英国から、いきなり
灼熱の島へ来た身にとって、この強烈な日差しはかなり堪える。どこかへ行こうに
も、何かをしようにも、涼しい朝のうちに間髪を入れず行動を開始しなければ、太陽
がぎらぎら照り始めてからでは、簡単にその気が失せてしまう。ギリシア人には「シ
エスタ」というお昼寝の習慣があるらしいが無理もない。この暑さでは何もできない。
そんな中、早朝から島一番の繁華街フィラの街まで出かけた。バスで20分の道の
りには、海岸側の斜面一体に背の低い植物が植えてあり、目を凝らしてよく見ると、
ぶどうとイチジクだった。棚などなく、地面の上に横たわっているぶどうの房やイチ
ジクの実。昨夜飲んでおいしかった「SANTORINI」という銘柄のワインは、このぶど
うから作られているらしい。
白い石畳の街フィラは、その狭い坂道の両側に陶器やジュエリーを売る店、カフェ
や土産物店が軒を連ね、露出度の高い服(ほとんど水着)を着た若いカップルでごっ
た返していた。昼食はガイドブックに載っていたレストランでとったが、あまりのまず
さに閉口してしまった。これまでもガイドブックを信じて「当たり」だった試しがないが、
こんな「大ハズレ」も珍しい。交通機関や地図などの間違いだったらまだ大目に見る
が、事食べ物に関しては許せない。悔しいやら腹が立つやらで、早々にフィラの街を
後にし、バスで30分のカマり・ビーチまで足を伸ばした。遠浅で黒い砂のカマり・ビー
チもパラソルがズラーと並び、ここも人人人でごみごみしていた。
5日目あたりから、家族の誰もに「退屈」の二文字が頭をもたげてきた。
子供は毎日、海やホテルのプールで泳いでいたが、それにもだんだん飽きてきて、
持ってきた本も読み終え、絵はがきも書き終え、ゲームもやり尽くしていた。アクロ
ティり遺跡にも行ったし、一日観光ツアーで、温泉が出るパレオ・カメニ島にも船で
行った。とにかく、やり尽くしたし行き尽くした感があった。
とうとう子供が「あと何泊したら帰れるの?」などと、不謹慎なことを口走り始めた。
「何言ってるのよ!ギリシアなんてもう二度と来れないかもしれないのよ。のんびり
できる時間をもっと楽しみなさい。」と、言った私だが、持参したインスタントラーメンを
作りながらでは、説得力に欠ける。
夫が「電話料金が高いからメールの確認だけだぞ。」と言いながらパソコンを繋ぎ
始めた。「えっ、パソコン持って来たの?それを早く言ってよ。」と子供の弾んだ声。
英国に来てから子供の学校では、インターネットを使った授業があり、わが家は
PC一人一台の時代に突入していた。四つの頭が小さな画面に釘付けになった。
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9月6日
「サントリーニの休日 2」
翌朝目覚めた私は、目の前に広がる青一色の世界に息をのんだ。何も遮る
ものがない、どこまでも続く、抜けるような空の青とコバルトブルーの海の青。
英国では逆立ちしたってお目にかかれない強烈な日差し。昨日は日没後到着
したので気づかなかったが、この景色には白い建物がよく似合う。パラソルの
下でエーゲ海の風に吹かれながらのんびり過ごすサントリーニのホリデー
・・・うっひっひっひっひーなんと贅沢な!これぞ思い描いていた以上の休日だ。
今回はアパート滞在といっても、正確にはアパートメントタイプのホテルで、居間、
2つのベッドルーム、食器付きのキッチン、シャワールームが備わり、毎日部屋の
掃除とベッドメイキングをきちんとしてくれて、プールサイドのテラスで食べる朝食
付きだ。
ただ、驚いたことにエアコンと洗濯機がついていない。この灼熱の島で、一方向に
しか窓がないコンクリートの部屋にエアコンがないなんて、最初致命的に思えた。
が、エーゲ海から吹き上げる風で朝夕は凌ぎやすく、コンクリートのひんやりと
した感触も涼しさを感じさせてくれた。洗濯は、一番近いコインランドリーに行く
にもバスを使わなければならないので、仕方なく手洗いをしてはテラスに干すと
いう仕事が私の役目になってしまった。
もうひとつ驚いたことに、トイレにトイレットペーパーを流してはいけないという注意
書き。何でも下水処理設備が不十分だからだそうだが、レストランや空港でもそう
だったので、おそらく島全体、ひょっとしたらギリシア全土かもしれない。
アパートのテラスから海岸へ続くジグザグの階段が見える。一日に何人もの人が
この階段を上ったり下りたりしているが、急で長い石畳の階段は相当きついらしく、
ほとんどの人が途中で休み休み行き来している。まず、子供が偵察に行き、泳げ
そうなビーチがあるというので、早速行ってみることにした。下りはまだ楽と思い
きや、途中から膝が笑い始め、思うように足が動かない。帰りがだんだん不安に
なってきた。
海岸には10メートルほどの小さなビーチがあったが、すでにいっぱいだったため、
少し離れた岩場で泳ぐことにした。子供は潜っては「さざえがいた。」「ウニがいた。」
とはしゃいでいたが、10年ぶりに海に入った私は、浮き輪につかまって漂っている
だけで、理由もなくうれしさが込み上げてきた。
ビーチの近くに、日本で言う「海の家」が2,3軒あり、そこで食べたギリシア料理が
とてもおいしくて、作り方を教えてもらった。イカやタコや海老を炭火で焼いて、オリ
ーブオイルとバジルをふりかけ、レモンを絞っていただくだけの素朴な料理だが、
塩もコショウもしていないのに、捕れたての素材のためか?塩味が利いていて、
とにかくおいしかった。
食事の後はあの坂が待っている。覚悟を決め、坂の上り口まで来てみると、なんと
ロバくんが待っていた。歩いて上がるのもしんどそうだが、ロバに乗るのも恐怖で、
迷った末、私は自力で上る道を選んだ。夫と子供はロバくんを選び、ロバに振り落と
されそうになりながら、必死でしがみついている3人を笑いながら上り始めた。が、
まぁその階段の長くてしんどいことといったら・・・3人は早々とアパートに到着し、
フーフー言いながら、休み休み上っている私をテラスから見て笑っている(らしい)。
「やっぱりロバくんに乗ればよかった。」と後悔しながら、やっとの思いで上りきった。
そんな大変な思いをしたのに、その数日後、私は再びあの心臓破りの坂を下って
しまった。あのおいしさをもう一度味わいたくて。
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9月2日
「サントリーニの休日 1」
夏休み前から「ホリデーはどこに行くの?」「南フランスに2週間の予定よ。」
「うちはキャンピングカーで3週間かけてスコットランドを回るつもり。」などという
会話が頻繁に飛び交い、中には日本に行くという娘のクラスメイトもいて驚かさ
れてしまう。英国人のホリデーにかける情熱というか心意気は半端ではなく、
この夏のホリデーのために1年間あくせく働くといっても過言ではない。
さて、わが家のホリデー。夫任せにしていたら、北極熊とご対面なんてことに
なり兼ねないので、今回は先手必勝。紺碧の海、雲ひとつない青い空、エーゲ
海に沈む夕日の美しさ、そして白壁の街並みー考えただけで、胸躍るギリシア
のサントリーニ島に強引に決めた。その上、初めて英国の旅行会社のツアーを
利用し、キッチン付きのアパート滞在、7泊8日という今までにない異例の長さも
私をワクワク、ドキドキさせた。
ガトウィック空港からカレドニアン航空という英国の航空会社の直行便で4時間。
まわりは英国人ばかり、それも家族連れが多い。離陸直後、スチュワーデスから
シートベルトや緊急避難用具の説明があるが、こんなに真剣に聞いている乗客
と乗り合わせたのは初めてだった。年に一度の家族旅行、何かあっては困る。
その気持ちがビュンビュン伝わってきた。それなのにこの飛行機、痺れるような
着陸をしてくれた。急降下してドスンと落ちて、急ブレーキをかけ、思わず両手両足
でつっぱり、何とか体勢を整えた。その後のアナウンスがまた奮っていた。「かろ
うじてサントリーニ島にのっかりました。」と。ジョーク好きの英国人には大受けで、
機内は大爆笑だったが、私は顔がこわばって笑えなかった。(二度とこの航空会
社の飛行機には乗らないぞ!)
サントリーニ島は火山の島で、赤茶けた断崖の上にあの有名な白壁の街並みが
ある。アパートのあるイアの街は島の北端のてっぺんにあり、車で約30分。迎え
の車のドライバーはやたら陽気なギリシア人で、ラジオをガンガンかけ鼻歌まじり
に細い崖っぷちの道をビュンビュン飛ばし、時々観光案内もしてくれた。が、「おじ
さん、おじさん、説明はいいからちゃんと前を見て運転してよぉー」と心の中で叫ん
でいた。
イアの街の入り口で車から降りると、私たちを待っていたのは、頭に「TAXI」の鉢
巻きをしたロバくんだった。真っ黒に日焼けしたロバ使いのおじさんは、私たちの
スーツケース2ことリュック2こをロバの背にロープでしっかりと結びつけ、「get
up」と言いながら鞭を鳴らし、アパートまで案内してくれた。石畳の坂道を重い荷物
を背負わされて、よろよろ歩くロバをかわいそうに思ったが、この時まだ、この島で
ロバがどれだけ活躍し重宝がられているか知らなかった。
アパートは、断崖の側面に玄関と窓があり、いわば洞窟のような作りになっている。
そして崖側に張り出すようにテラスがあり、左右上下の家とは微妙な段差でプラ
イバシーが保てるようになっていた。
英国の家を出発してから約9時間後、テラスのチェアーでエーゲ海の風に吹かれ
ながら、これから始まるサントリーニの休日に心を馳せた。
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8月9日
「1年が過ぎて」
初めて英国に降り立った日からちょうど1年が過ぎた。この1年、事あるごとに
私の頭の中を過ぎったことがあった。
もう5年も前のことだが、娘の幼稚園バスの送迎で初めて劉さんに出会った。
同じバス停から子供を送迎する親が、15人前後いたにも関わらず、誰ひとり
として彼女に声をかける人はいなかった。みんな自分たちのおしゃべりに忙しく、
私も例外ではなかった。いつも、隅の方で子供と手をつないで、ポツンと立って
いた彼女に、どう声をかければいいか、わからなかったと言った方が、正しいかも
しれない。
そんな日がしばらく続いたある日、幼稚園から連絡事項があり、たまたま
役員をしていた私が、彼女に伝えることになった。ところが、話かけてみて驚いた。
日本語がほとんど通じない上に、英語に至っては皆無だった。ただ、幸いなことに、
同居していた妹さんを介して、かろうじて園からの連絡を伝えることができた。そして、
彼女がご主人のエレクトロニクスの勉強のため、小学生と幼稚園の2人のお子さんを
連れて、台湾から来日していたことがわかった。
幼稚園というところは四季折々の行事がたくさんあり、その都度、細かなお知らせ
が配布される。毎朝夕のバスの送迎時に、彼女はわからない言葉を、唯一接点
のある私に聞くようになった。勉強熱心で真剣な彼女の姿に好感を持った私は、
できるだけ役に立ちたいと思い、時には絵を描き、時には自宅に招いて説明した。
しかし、正直言って、限られた言葉で彼女にわかるように説明するには、時間と
労力と忍耐が必要で、しばらくすると、だんだん面倒になってきた。忙しい時に
質問されると、内心困った記憶もある。
こんなこともあった。子供が2年生になった頃、劉さんから「地域の人達との交流の
ため、何かお手伝いできることがあれば教えてほしい。」と相談を受けた。私は即座に
子供会の役員を勧めた。しかし、20名ほどいる役員の役職はくじ引きで決められるため、
会長以下3役は彼女にとって荷が重すぎると考えた私は、彼女と相談して、くじ引き
から外してもらえるようにお願いした。当然全員一致で承諾されるものと思っていたが、
反対する人もいて呆れてしまった。
それからしばらくして「台湾に帰ることにしました。」と挨拶に来てくれたが、
私は住所を聞くでもなく、ただ「元気でね。」と言っただけだった。
この1年、この英国で、様々な人から親切にされる度に、至らなかった
5年前の自分を思い出し、後悔と自責の念にかられた。自分が劉さんと
同じ境遇になってみて、初めて当時の彼女の気持ちが理解できた。
そして、「日本は住みにくいです。」と言った彼女の最後の言葉が、5年の歳月を経た今、
私にいろいろ考えるきっかけを与えてくれた。
英国と日本、同じ島国でありながら、あらゆる国の人々を狭い国土に受け入れて、
当然と言わんばかりに生活している英国人と他民族への理解と受容に乏しい日本人とでは、
その土壌に大きな違いがあるように思う。決して日本ほど物質的に豊かではないけれど、
英国人には心のゆとりがあり、人へのやさしさがある。受験教育、競争社会の日本の
土壌で、「ゆとり」や「やさしさ」など生まれるはずがないと、英国に暮らし始めて1年が過ぎて、
初めて気づかされた。
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