悠遊素敵 13(2001.4.13.)
Photo by Kuniko Kawarai
根尾谷の淡墨桜
岐阜の山の中にはいると、染井吉野もまだ満開の感じです。
根尾谷への細い道は、連なる観光バスや乗用車で大渋滞。
一本の老桜が、これだけの人を誘い込むのですから、すごいです。
そして山あいの谷が開けたところに、すっくと神々しく淡墨桜は立っていました。
が、近寄ってよく見ると、すっくどころではありません。
何本もの支柱に支えられて、ようやくなんとか立っている老いた桜がありました。
花は薄い墨をはいたようで、か細く、消え入りそうではかなげです。
側の染井吉野の花が白く猛々しく見えたぐらいですから。
彼岸桜の一種で、小さな緑の葉も出ています。お年は1500才。
洞になったゴツゴツした太い幹が、その樹齢を物語っています。
ぐるりを山に囲まれた小さな谷間の真ん中に、仙人のようにたたずんでいました。
訪れた人々は、その長寿にあやかろうというのか、
はたまた、けなげな美しさに打たれたのか、
言葉なく、ぐるぐると老桜の周りをアリのように取り囲み、
すがつながめつしていたのであります。
国指定天然記念物 根尾谷淡墨桜
この桜は彼岸桜の一種(和名ウバヒガン)で、樹齢が高く
(地元では1500年と称してる)枝の各所が折損して樹勢が衰えたので
昭和24年に山桜の若根238本を根接ぎしたほか、種々の保護を加え回生を図った。
現在、樹高17.2m、枝張り東西23.9m、南北21.2m、幹囲り9.1mあり、花の盛りは4月上旬である。
伝説
今を去ること1500余年前、都での迫害を逃れてこの地に潜まれた男大迹王が、
長じて29才の時、都に迎えられて皇位を継承し継体天皇と称せられたが、
この地を去るに当たり、形見として植えられたという。
遺された一首の歌がある。
「身の代と遺す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛へ止むる」
またまた重くて、すみません。
付近の染井吉野も満開でした。
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