住吉かるた 5


昔のあかり 高燈籠

鎌倉時代の末期、漁民たちが住吉大社に灯明として
奉納したものと伝えられてます。高さ三十二米の燈籠は
数ある中で最高最大で、わが国最初の燈台ともいわれ、
その光は海路を遥かに照らし舟人の目あてとなって長い間
重大な役割を果たしていました。昭和四十九年住吉名勝保存会が
旧在地より二百米東に再建しました。
隆盛いずこ 神宮寺

天平宝字二年(758)孝謙天皇によって創建されたと
伝えられ、住吉大社と大海神社の間に位置していました。
旧名を新羅寺といい住吉の三大寺の1つに数えられた壮麗な寺
でしたが、明治初年の神仏分離令によって廃寺となりました。
現在に伝わる住吉踊をひろめたのは、この寺の僧であると
いわれています。
ロマンを乗せて チンチン電車

阪堺線は、明治四十四年(1911)十二月恵美須町--大小路間
が開通(全線開通は大正元年七月)しました。上町線とともに
現在市内に残るめずらしい路面電車で、今では若いカップルの
デートコースにもなっています。
玉手の岡に 帝塚山古墳

住吉大社より北へ玉出までの高台地は玉出の岡といわれ、
ここに帝塚山古墳があります。この古墳は市内に残る四古墳の一つで、
六世紀頃の前方後円墳です。大和朝廷に高官として仕え、
この付近に居宅があった豪族大伴金村の墓という説もあります。


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