セレブレーション・タイム
ニュージーランドの卒業式は明るい夏の12月。卒業の間近までバーサリ試験(高校卒業程度の国家統一試験。イギリスのAレベルに相当)が続き、結果は年を越した1月に発表され希望の大学に入学できるかどうかはそれ以降決まる。 しかし試験の少し前まで普段の学校行事が続き、卒業生、特にプリフェクト (学校から指名された監督生)は多くの任務があるので短い期間内で集中して準備しなくてはならない。暖かい夏のこの時期は遊びたくなる誘惑にもかられるが寒い冬に風邪と戦いながらするよりは受験勉強するにはずっと楽にちがいない。
11月の末学校を訪れてみると試験を終えた卒業生たちはほとんどどこかに遊びに出払っていて、長男も行方知れず。残っていた二人の卒業生はこれからオークランドを離れるせいもあり、寮での残りの日々をいとおしむ姿がいじらしい。
子供はもちろんどの親もこの日を5年間楽しみにしているのだ。息子がお世話になっている学校にはオークランドだけでなく地方から来ている寮生も多いので、普段は参加できない遠方の両親達もこの日ばかりは張り切って全員参加。もっとも昔は子供だけの行事だったそうだが、現在のように両親達にも参加させ家族で楽しめるように変えてきたのはこの校長先生の功績の一つなのだろう。彼はこの学校で15年間校長を勤めこれで引退する。にその間教育界を始め全人格教育を求める両親達の尊敬を集めてきた。学校にとっても卒業生や家族にとっても思い出深い年になる。
寮の庭でハウス・プリフェクト引継ぎ式。スクール・プリフェクトの他に寮でもハウス・プリフェクトがあり寮長先生のもと寮のまとめ役を分担している。
校長先生ご夫妻のお宅の庭でスクール・プリフェクトのカクテル・パーティー。ヘッド・ボーイからマオリの木彫りの記念品を贈答された校長先生。夫人の活躍も大きい。政治家や外交官の例で見られるようにやはり西洋社会では夫婦単位の行動が圧倒的。校長先生のスピーチの後、ヘッド・ボーイのスピーチ。彼は香港の出身。私達はラグビーを通じて小さい頃から知っているため彼の成長と成功を見るのは思いひとしお。彼のスピーチは内容が良くハートがこもっているからこのあたりから両親達はウルウルし出す。我が家の長男が5年前入学した当初寮の先生から病気や停学、退学処分になった場合に備えてガーディアンを決めるように言われ、難しい年頃ゆえ無事に卒業できるのか親として不安があった。でも多くの素晴らしい先生方、友人に恵まれ、また数限りない素晴らしい経験をさせてもらえ、この日を迎えられたのは本当に嬉しい。5年前反抗期で幼かった13歳は皆いつのまにか立派な若者になって輝いていた。親の私達も子供のおかげで多くの素晴らしい人たちとの出会いに恵まれた。
卒業生を送る寮の夕食会。いつもは殺風景な寮のコモン・ルームもハウス・カラーの黄色いテープや風船で飾られ、テーブルにも黄色いフラワー・アレンジメント。卒業生は18歳なのでおおっぴらにお酒を飲ませてもらえる。適当に食事も進み、お酒も回り、落ち着いてきたところで順番にスピーチ。長男も突然の名指しで慌ててスピーチ台に進んだ。滑り出しは良かったがそのうち何を思ったのかスピーチ台をガッタンゴットン前後にゆすり始めた。ありゃ。でもよくできました。ここでも親はウルウル。
食後は寮のライブラリーでコーヒー、または食後酒を。両親からの贈る言葉に聞き入る卒業生たち。13歳から18歳までの多感な五年間同じ寮で過ごした仲間の結束は固い。彼らの歌や演奏で楽しんでいるうちに夜中の1時。
翌朝は講堂で表彰式。ここでもヘッド・ボーイのスピーチに涙ぐみ、我が子の受賞にまた涙。その後中庭で軽食&ドリンク。私はもちろんシャンペンを頂きました。その後チャペルで賛美歌を。これがまた泣かせるのだ。
グラデュエーション・ボールの前にプリ・ボール・ドリンク。伝統的に寮ごとに行われ、私達も息子の寮仲間のお宅に招待していただきました。ブラック・タイで決めた男の子達。何人か来ていた女の子達はイブニング・ドレスで決めていました。スタイルも着こなしもさすがです。
プリ・ボール・ドリンクで勢揃い。コロニアル・スタイルの美しい木造のお宅に奥様の丹精こめたお庭。これからボールに。ボールでは女の子と父親に、男の子は母親と必ずダンスするように言われていたようだ。宴は和やかに夜更けまで続いた。会場は完全禁煙だったので私達も最後まで心行くまで楽しめた。
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